@article{oai:yamanashi.repo.nii.ac.jp:00004745, author = {福地, 龍郎}, journal = {山梨大学教育学部紀要, Bulletin of the Faculty of Education}, month = {Feb}, note = {application/pdf, 甲府盆地は,西縁を糸魚川-静岡構造線活断層系に,南縁を曽根丘陵断層帯に,北縁を水ヶ森火山,黒富士,茅ヶ岳という第四紀火山によって囲まれた逆三角形の構造盆地であり,古くから湖水伝説が伝えられている。完新世(約1万年前~現在)に甲府盆地が常在する湖だったことを示す地質学的証拠はなく,曽根丘陵の眼下に位置する甲斐銚子塚古墳や丸山塚古墳などの考古学資料は,四世紀後半~五世紀初頭の甲府盆地南東部は古墳築造が不可能な湖沼ではなかったことを示している。しかし,曽根丘陵断層帯は約1万年前以降に活動したことが知られており,その際に富士川上流部を付近の山々から崩落した土砂や山塊が塞ぎ,一時的に甲府盆地が湖の状態になった可能性はある。一方,更新世後期(約13万年前~約1万年前)には,甲府盆地北部地域からナウマンゾウ化石を含む湿地性堆積物が産出し,甲府盆地は一時的に湿地あるいは沼地の状態にあったと推定される。山梨市兄川や甲府市相川などの甲府盆地北部の標高は,盆地南部の標高よりも50~100m程度高く,盆地北部が湿地あるいは沼地の状態にあった時には,盆地南部も湖沼の状態にあったと考えられる。更新世中期(約78万年前~約13万年前)には,曽根丘陵から湖沼成堆積物である佐久シルト層が産出するため,甲府盆地は常時湖沼であったと考えられる。更新世中期~後期に掛けて,甲府盆地が常時あるいは一時的に湖沼であったことは,釜無川流域に発達している韮崎岩屑流堆積面や高位~低位段丘面から推定される旧氾濫原の高度からも支持される。甲府盆地が湖沼であったにも拘わらず,盆地内に湖沼成堆積物があまり発達していないのは,更新世(約258万年前に開始)に活発化した南アルプスの隆起に伴う削剥量の多さに加えて,第四紀火山からの火砕流あるいは岩屑流堆積物が大量に甲府盆地に流入し,湖沼を継続的に埋め立てていたことが原因であると考えられる。継続的に甲府盆地に流入する堆積物は,地殻あるいはリソスフェアの質量を増大させることになり,リソスフェア/アセノスフェア間のアイソスタシーを保つために,甲府盆地は沈降を続け,現在でも堆積と沈降を続けていると考えられる。}, pages = {103--119}, title = {甲府盆地の形成過程に関する一考察}, volume = {30}, year = {2020} }