@article{oai:yamanashi.repo.nii.ac.jp:00004749, author = {グローマー, ジェラルド}, journal = {山梨大学教育学部紀要, Bulletin of the Faculty of Education}, month = {Feb}, note = {application/pdf, ウィーン在住の公務員、マティアス・ペルト(1788年-1856年)は1803年から1856年まで膨大な日記を書き続け、19世紀のウィーン音楽文化を知るための貴重な記録を残した。一流の史料であるにもかかわらず公開・翻刻されていないため、これまで音楽学の研究に使用することは困難であった。本稿(前編)は1803年7月24日から1809年9月24日の音楽事情に関する項目を抜粋、翻刻し、註釈を加え、ウィーンの音楽事情を目撃者の立場から把握することを試みている。この日記を読み解くことでウィーンの劇場などで上演されたオペラはもちろん、様々な演奏会、教会音楽、軍楽、大道芸人による演奏など、多様性が浮き彫りとなる。多種の興味深い項目の中には、特に1806年3月29日にペルトが経験したベートーヴェン自身が指揮したオペラ上演や、1809年5月31日ハイドンの死去にともなう当時の庶民の視点などがある。そしてペルトの記述(例えば1808年5月23日項など)からはフランスのバレエをウィーンに伝えたルイ・アントワン・デュポールその他の著名なダンサーの活躍をはじめ、一世を風靡したフランス風のオペラの人気ぶりの実態も明らかにしている。ナポレオン戦争と1809年フランス軍による占領の時期と重なり、音楽史研究に欠かせない史料を提供している。}, pages = {149--165}, title = {マティアス・ペルトの日記に見られるウィーンの音楽事情(1803年~1811年)}, volume = {30}, year = {2020} }